吉野生街道看板です。国道381号線の、松野町から高知へ向かうバイパス沿いに立つこの看板、実はメルカドデザインで担当させていただいたお仕事です。





 

吉野生街道看板

メルカドデザインのスタジオ(というかぼくらの家)があるのは松野町吉野部落。

吉野生街道はうちから徒歩3分ぐらいにある旧街道です。

上の写真は、わりと建ってすぐに撮ったと思うのですが、日付を見ると2014年4月10日とありました。デザインをしたのもその2か月前ぐらいだったと思います。

比較的初期のお仕事です。

 


 

この看板、なぜ立てられたのか?

といいますと、看板の立つ少し前、2012年9月19日に、この吉野生街道を迂回するバイパスが開通したことがきっかけでした(※写真左に写っているのがそのバイパス)。

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こちらが当時の、バイパスと松野東トンネル開通式の写真(保育園の子どもたちが、最初にトンネルの中を歩くイベント)。

松野町~高知の県境へ続く国道381号線を結ぶこのバイパス。

今では、トラックなどの大型車もびゅんびゅん通る道なのですが、バイパスが通る前は、下の写真の道を通っていました。

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たしかに、ここをトラックや通勤で急いでいる車などが、びゅんびゅん通るにはちょっと細い道でした。実際、近所に暮らしていると、車どおりが少なくなって、道路は各段に歩きやすくなりました。

 

つまりこちらが「旧吉野生街道」です。

今では、商店も2~3軒にまで減少し、ただの住宅街のように見えますが、かつてこの街道は、松野町で最も栄えた土佐との交易地でした。

JR予土線の前身、宇和島鉄道が、宇和島とこの吉野を結ぶ鉄道であったことからも当時の繁栄がうかがえます。

 


 

今回ご紹介する吉野生看板は、バイパスが通ることで迂回して、車が通らなくなる吉野生街道の存在を周知するための看板です。

この看板のデザインをするにあたって、吉野生街道に残る、古い商家の軒下にみられる意匠をモチーフにしてみました。

それがこちら。

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「持ち送り」と呼ばれる部分です。

軒下に備え付けられているのですが、屋根からは離れているので、屋根を支えているわけでもない、不思議な部品です。

このデザインのある古い家が、吉野生街道沿いに3軒ほどあります。

かつて栄えた当時の面影を感じさせるこの「持ち送り」。

吉野生街道のアイコンとして相応しいのではないかと思いました。

 

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こちらが初公開!デザイン当時のラフです。

デザインはおおむね決まった状態で、フォントや色を選んでもらう段階のものだと思います。最終的には現在の看板のデザインになりました(右端のものが最終)。

ただ、看板完成後にいろいろ見聞きしたところ、栄えていた当時は街道沿いの商家の壁の塗装が一様に「あずき色」だったそうで、「あずき色」という選択肢もあってしかるべきだったかなぁと、今となってはも思います。でも、現行のブルーも松野町らしくて似合ってますよね?

といういきさつを経てデザインされた吉野生街道看板。

実は今回このブログ執筆のために、むかしの資料を掘り返してみて1点面白いことに気づきました。ヒントは、ラフ画の一番左端のデザインに隠されているのですが…。

それについてはまた後日。

松野町ロゴ」の記事で書きます。

 

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ちなみに、ぼくらの住む集落は吉野部落、でも看板は吉野生街道。

最寄りの駅も吉野生駅です。

「吉野」と「吉野生」この違いはなんでしょう?

答えは隣の集落「蕨生」にあります。吉野+蕨生=吉野生。

吉野生の方が、少し広い地域を指す呼称。

ただ、蕨生にも「真土駅」という駅があるのですけれども。そのへんは謎。

以上、吉野生街道看板でした!

 


 

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