短期集中連載「移住のプロセス」第4回!〈準備編〉その1!まずは気になる「仕事」について。移住して仕事はどうするの?仕事はあるの?今回は「移住前後のぼくの仕事」についてのお話しです。※このちょっとエキセントリックな仕事場風景は、移住直後の仮のもの。現在は別のもう少しちゃんとした仕事部屋で作業しています。ちなみに現在のぼくは、完全自宅ワーカー。





 

前回、九州北部→中国地方→四国を約2週間かけて車中泊の旅をした結果、ぼくらは「本当にたまたま」移住したい町(愛媛県松野町)に巡り合うことができました。

でも、ぼくらが実際に移住したのは、その旅から約1年後のことでした。移住までの1年間、いったいぼくらは何をしていたのでしょうか?

 


 

空白(?)の1年間

車中泊の旅をしたのが2011年4月下旬で、実際に移住したのが2012年7月。約1年間、ぼくらは東京ですごしていました。何をしていたのかと申しますと…。

まず、ぼくらにはじっくり考える時間が必要でした。

移住候補地として松野町が見つかったものの、よしじゃあ今すぐ引っ越そう!と思うのは早急すぎる、とぼくらは考えていました。なにしろ人生で初めての移住です。東京の家を引き払い仕事のあてもなく、見切り発車するにはちょとリスクが高すぎます。

その上、世界一周で(節約したとはいえ)それなりにお金を使ったので、貯金もけっこう減っていました。

いずれにしてもここは慎重にいきたいところ。

移住について改めてじっくり準備をし、そしてそのあいだに減った貯金を少しでも回復すべく、「ぼくが半年ほど派遣で働く」ということになりました。

振り返ると、意外と石橋を叩いて渡ってますよね。

 


 

移住は不安でいっぱい

地方への移住は、いろいろと不安要素満載!だと思います。

実際、ぼくらもそうでした。人によって、不安に感じるポイントはさまざまかと思いますが、ぼくらの場合は、特に以下の2点を一番心配していました。

① 現地のコミュニティに溶け込めるか?

② 仕事は大丈夫か?(収入は得られるか?)

他にも、病院や学校、近くにスーパーはあるか、家はあるのか…等々あると思います。

ぼくらの場合は、当時まだ子どもがいなかったので、病院や保育園、学校などの心配は正直ほとんどありませんでした。

仮に松野町であれば、町内に保育園も小中学校があり、診療所もあります。車で30分かからない距離に宇和島市がありましたし、2~3時間の距離に松山市があります。

なのでまあ、なんとかなるだろうと思っていました。

スーパーや、家に関しても、車中泊の旅の時にすでに色々確認済み。

その辺りは「最低限クリアできそう」な状態でした。

②の仕事に関しては、今回この後詳しく書いてみます。

一番心配なのは①でした。

松野町に溶け込めるかどうか?

よそ者として疎まれたりしないか?

近所の人とのおつきあいは…?などなど。

いわば、移住後の人間関係ですね。

結論からいうと、松野町の場合は、住んでる方々がものすごく人が好い方が多かったので(南予は特に人が好いと愛媛でも評判)、幸い①についても、ほぼ100%杞憂にすぎませんでした。

この辺りのことは第5回第7回で詳しく書きます。

 

 

移住資金を得るため、派遣で半年働いてみる

というわけで、車中泊の旅から戻って早々、こんどは派遣会社の面接へ。

何を隠そう、ぼくはこのとき人生初の就活をしました(以前勤めていた会社は特に就活せず成り行き)。移住も初、就活も初。30代後半で初めてづくしです。

まず、2社ほど人材派遣会社の面接へ。

ぼくの場合は「クリエイター系に強い」ところを選ぶことに。

で、最終的にグローバル・テクノロジー・デザイン(ここはクリエイター系に強いです)に登録し、秋葉原からほど近い場所にある、株式会社リダスターという制作会社にお世話になりました。

ここで、絵コンテやイラストのお仕事を経験。

実はペンタブやSaiなどのソフト(絵を描くソフト)もここで初体験。

実際、ここで培ったスキルが、移住後、フリーランスになった際にかなり役立ち、ぼくにとっては大当たりの派遣先でした。

このリダスター様、たったの半年だけしか勤めることはできませんでしたが、ものすご~くお世話になった会社様です。社長にもとても良くしてもらい、実は「半年後に移住する」ことをお伝えすると、なんとその後も仕事をまわしていただけることになったのです。

そうなんです。移住前にちょっと働いてみた派遣先の会社様が、なんと移住後初のクライアント様になってくれたのでした。これは、今考えても、超ラッキー!だったと思います。

このリダスター様のおかげで、ぼくらは移住後しばらくの間、仕事にあぶれることなく、移住生活を満喫することが出来たのです。

 


 

移住直後は、東京からの仕事が100%

そんなわけで、移住直後はその派遣先だった会社様から仕事をまわしてもらったり、友人・知人からときどきまわってくるイラストやデザインの仕事をしていました。

すべて東京からの仕事でした。

松野町のインターネット環境は光回線が通っていて、まったく問題ありません。東京からの仕事は、電話やスカイプで打ち合わせをし、データのやりとりはメールとサーバー経由。1年間まったく顔を合わせなくても、愛媛と東京で仕事をすることは拍子抜けするほど、なんの問題もありませんでした。

といった生活が、約1年つづきます。

つまり、最初から松野町の仕事をしていたわけではないのです。

松野町から仕事をもらうようになるのは、移住して1年半が過ぎてからでした。





 

松野町から仕事をもらうようになる!

最初のきっかけは、「五ツ鹿ポストカード」でした。詳しくはこちら

★ 五ツ鹿ポストカードセット

前述のとおり、東京から仕事をもらって、田舎でのんびり暮らしていたのですが、せっかく松野町に移住してきたのだから、なにか松野町を表現することもしてみたい。そう思って描いた「五ツ鹿ポストカード」のイラストが、役場の方の目にとまり「ああ!市毛さんってこういうこと出来る人なのか!」と、ようやく認識してもらえた次第です。

その後は順調に、いろいろなデザイン仕事が舞い込んでくるようになりました。

★ デザインのこと

★ Works

移住から2年後の2014年春から夏にかけて、松野町から仕事をもらえるようになった一方で、東京からのお仕事がだんだん減っていきました。翌2015年には、松野町他、移住先である愛媛での仕事に完全にシフト。

おかげさまで今日も「こんなはずじゃなかった(笑)」というぐらい、順調に忙しい日々を送っております。

 


 

移住に必要なもの④「仕事」

これはもう、その人によって千差万別、十人十色のケースがあると思います。

ぼくの場合は、幸運にも前述のとおりですが、それでも一応、自分なりに自分の手で獲得した仕事だと思っています。

地方(田舎)に仕事はない」これは完全にウソです。

かの有名な「まだ東京で消耗してるの?」のイケダハヤトさんも言っているとおり。

地方に仕事はあります。むしろ山のようにあると思います。

さまざまな分野で「担い手不足」が叫ばれています。

松野町でも、桃農家になりたい、後継者になりたいと言えば、もうみんな大喜びです。

大歓迎されること間違いなし!です。

ただ(イケハヤさんも言っているように)「東京と同じような仕事はない」です。

でも「田舎の仕事なら引く手あまた」です。

農業、林業の分野ではもう、40代でも「若手がきた!」と喜ばれると思います。

現場の平均年齢は、70歳超えている地域もあるのではないでしょうか。

観光分野もかなり開拓の余地があると思います。

松野町はジビエが特産品なので猟師でも食えるかもしれません。

その他ふつうにバイトもあります。コンビニ、ファミレス(隣町にあります)、スーパー。時給は安いですけどね。でも物価も家賃も激安です。

うまくご近所づきあいが出来て、ばあちゃん達と仲良くなったら、おすそ分けの野菜や果物がもらえることも!

地域おこし協力隊という選択肢もあると思います(松野町でも年に数名募集)。てっとりばやく地域の深いところまで入り込むには、地域おこし協力隊になってみるのもひとつの手だと思います。ただし、自治体によって落差が激しいみたいなので、事前のリサーチは必須ですね。ちなみに松野町の協力隊は、メンバーにも面白い人が多く、かなり良質だと思います!

また、松野町では農林公社での研修制度もあります。ぼくが移住した当時は、「毎月給料が出て、2年間農業研修をさせてもらえる」という制度でした。お金もらって、レクチャーしてもらえて、研修後には農業を始めるサポートまでしてもらえる、という農業をしたい人にとってはかなり良い制度。正直、仕事に困ったらいざというときはそれがある!って移住当時は思ってました。(※現在の研修制度については松野町役場までお問い合わせ下さい)

松野町農林公社研修生募集

青年就農給付金(農林水産省)





 

起業したい人にとっては天国

都会でのサラリーマンみたいな雇用はないですが、その一方で「起業したい人」にとって、田舎は天国だと思います。

なにしろ、まわりに同業者がほとんどいません

うまくやれば、東京で起業するより格段に独り勝ち出来る可能性が高いです。

愛媛で言えば、松山のような中心地ではまたちょっと話が違いますが、松野町のような里山に入ってしまえば、飲食店も少なく、若い女性向けの美容室もなく、おしゃれな服や雑貨を売る店もありません。

「お客が来ないからでしょ?」といえばそうでもなく、ニーズはあるのです。

だって松野の若い人、みんな松山まで買い物に行きますからね。

また、こういう例もあります。

実は、松野町にはパン屋がありません

パンを作っている工房は数軒あるのですが、実店舗で営業されているお店は1軒もないのです。

それなりにちゃんと美味しいパンを焼くことが出来れば、町内に限らず、周辺地域から(かなり広範囲を想定できます)評判を聞いてお客さんが押し寄せることも十分あり得ます。

都会でパン屋を出すより、松野町で出す方が、ほとんどの面で簡単ですし、ある意味「有利」なんです。愛媛でもよその地域では、そうやってパン屋を始めたり、起業されて成功している方たくさんいます

松野町だけ見ても「無い業種」だらけです。

空席がたくさんあるのです。

都会でパン屋を始めるには、競合店が星の数ほどあるので、まずお客を獲得するだけでものすごく大変でしょう。立地面でのコストも相当なものです。

一方、松野町で「松野町にないお店」を始めたら、独り勝ちすることも夢ではありません

賃貸コストも激安です。

実は、ぼくもそうです。

ご存じのとおり、東京でデザイナーなんて腐るほどいます。

ぼくレベルでは、箸にも棒にもかからない可能性大です。

でも松野町ではどうでしょう。

愛媛の南予周辺にも、井上真季さんや、迫田司さん(西土佐)など、活躍されている優秀なデザイナーさんがいらっしゃいますが、「松野町に住んでいて、松野町のことを考えているデザイナー」というのは、今のところぼく1人です。

今の時代、そういう環境の中で、クオリティ面でひけをとらない仕事が出来さえすれば、むしろ都会で活動するより優位性が高い場合が多いように思います。

いずれにしても、手に職のある方、移住おすすめですよ~!

都会よりはるかに、ラクに、楽しく、仕事できると思います。

 


 

休憩の時に眺める風景が違う

実はぼくは、東京にいた頃はタバコ吸ってました。

東京で働いていた当時、仕事の合間の休憩といえば、ビルの隙間でタバコを吸う…そういう感じでした(移住前にニコチンパッチでいとも簡単に禁煙に成功したので、今は吸っていません)。

思い出すと鬱になりそうな光景ですが、今は違います。

ご覧ください。家から徒歩数秒でこの景色。

あ~疲れた~って、家から外に出て、この風景を目の前に深呼吸。

それが、移住後のぼくの仕事環境です。

朝早く起きて、満員電車に1時間以上揺られて、夜遅くまでビルの中で働いて、タバコ吸って休憩…、そんな生活には二度と戻りたくありません。心からそう思います。

移住して、フリーになって、デザインやイラストや映像作ってのんびり暮らす。

移住してよかったな~って、ホント、仕事の休憩のときによく思います。

この景色を眺めながら。

 

次回!移住の準備その2〈下見&引っ越し準備編〉です。

お楽しみに~!

つづく

 


 

わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第1回世界一周の旅

わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第2回車中泊の旅(前編)

わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第3回 車中泊の旅(後編)

わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第5回 移住の準備(下見&引っ越し編)

わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第6回 空家リフォーム(自力編)

わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉最終回 移住後の暮らし

 


 

◎  Mercado Blog に戻る