短期集中連載スタート!いつか書こうと思っていた「地方移住のプロセス」。ぼくらはいかにして愛媛県松野町へ移住したのか?その全貌を大公開!全6回 全7回予定です。
はじめに
ぼくら夫婦は、2012年7月に愛媛県の南予地方にある里山、松野町へ移住しました。
移住して(この記事を書いた時点で)4年と4カ月。
昨年こちらで産まれた長男(ひーくん)は1歳の誕生日を迎えました。
今のところ奥さんは子育てに専念し、夫のぼくはフリーランスでデザインの仕事をしています。(メルカドデザインの仕事はこちら / Works )
ぼくらが移住した頃はまださほどでもなかったのですが、地方移住がブームになりつつある昨今、内閣府の発表によれば「東京在住者の約4割が移住を検討・意識したことがある」のだそうです。
実際に地方に移住する方も増えているのだろうなあ…、
と思う一方で、移住の失敗談みたいな話もときどき聴こえてくるようになりました。
幸運なことに「わが家の地方移住は大成功!」でした。
仕事に恵まれ、移住先で子どもを授かり、近所の方によくしてもらいながら、予想していた以上に楽しい田舎暮らしを満喫しています。
移住がうまくいかなかった人に比べ、ぼくらの移住は何がどう違ったのか?
ぼくらは、なぜ?どのようにして、移住をしたのか?
もし少しでも、これから移住を考えている方の参考になり、誰かの移住失敗を予防する効果があるのならば、それを語ってみよう、ぼくらの経験を情報として共有してしまおう、そういう連載です。多少なりともお役に立てば幸いです。
というわけで「わが家の移住のプロセス」大公開!はじまりはじまり~。
移住に必要なもの① 「きっかけ」
移住を思い立つきっかけはまさに十人十色です。
ぼくらの場合は「ぼくが勤めていた東京の会社を辞めたこと」でした。
とにもかくにも、あの時会社を辞めなければ、今の生活はなかったですし、ひょっとしたらまだ東京にいたかもしれません。
ただぼくらは、移住するために会社を辞めたのではありません。会社を辞めたことでその後の暮らしが大きく変化した、というパターンでした。
会社を辞めた当時、ぼくら夫婦はすでに結婚をしていました。
会社を辞めてどうするのか?
夫婦でかなりじっくり話し合いました。
そこでぼくらが出した結論はこうでした。
「よし!じゃあ、世界一周に行こう!」
何がどう転ぶと世界一周になるのか、
少し突拍子もなく聴こえると思いますので、こちらのリンクも貼っておきます。
◎ 「ぼくらが旅に出る理由」(小さな世界一周 / 2009年に書いた記事)
なぜ世界一周に行ったのかは、リンクの記事を読んでいただければわかりますが、かいつまんで言うと、「今後の収入どうする?とか考えてたら、せっかく会社辞めたのにつまんなくなりそうだったので、この際、いつか行きたいと思っていた世界の国にまとめて行っちゃおう!今なら行ける!ていうか今しか行けなくない!?」ということでした。
まず、世界一周の旅へ
そして、ぼくらは本当に世界一周の旅をしました。
いやもう、本当に行ってよかった!です。
その旅の楽しかったこと!といったらありません。
ぼくらにとって「この世で一番楽しいことは世界一周!」と言い切れるぐらい(今でもそう思ってます)最高に面白い旅でした。
どんな旅だったのかは、上記ブログ「小さな世界一周」に詳しく書いてあります。
ちなみに、移住もおすすめですが、世界一周もおすすめです(笑)!
行ってみたいとお考えの方、少しでも興味のある方は、ぜひ!行かれると良いと思います。
ここでは、世界一周の雰囲気を味わっていただける写真を少し並べてみます。
中国は永定の土楼です。かなり昔に「うるるん滞在記」(というTV番組)で観て、「いつか行ってみたい」と思っていた場所。本当に行ってしまいました。→永定の土楼のブログ記事
こちらも中国。中国は1か月かけて、南の広州から、成都、さらにチベットに近いの西の山奥をぐる~っとまわりました。この写真は中国奥地を村から村へ移動していた時(隣の村へ行くのに4000~5000m級の山を越えないと行けないようなすごい場所)タクシーの運ちゃんたちと撮った写真。奥さんいい顔してます。
中国の奥地、理塘(りたん)という町での写真。心の底から「すごいとこまで来ちゃったなあ…」と感慨に浸った瞬間でした。→理塘のブログ記事
こちらは、ベトナム北部のサパという村。黒モン族という、棚田でお米を作る少数民族の村に1泊だけホームステイさせてもらった時の写真。奥さんはこの村で直に触れた民族さんの暮らしにとても影響を受けました。その体験がやがては東京を離れて暮らしたい、という想いに繋がったのです。→サパでの体験(後編)
こちらは中東。今は大変なことになっているシリアのアレッポの市場です。中東の国々は、日本で見聞きしていたイメージと完全に真逆で、ものすごく良い国々でした。この時ばかりは、いかに日本で偏った情報に毒されていたかを実感しました。イスラム圏のシリアやヨルダンといった国々は、すごく優しい人がたくさんいる、そして見たことも聞いたこともない美味しい料理に溢れた世界でした。世界一周で一番どこが良かった?と聞かれて、一番最初に頭に浮かぶ国のひとつは、中東のシリアです。→同じシリアのダマスカスのブログ記事
こちらも中東ですが、ヨーロッパに近いトルコです。トルコのカッパドキア。ここは噂に違わずすごかった!→カッパドキアのブログ記事
こちらもトルコ。小さな町ベルガマで偶然出会った結婚式。たまたま通りかかったわけのわからないアジア人を「よくきた!まあ座れよ!」と、ものすごく寛容に受け入れてもらって、なんと結婚式に参列させてもらったのです。有名な世界遺産よりも、こういうことに感動する旅でした。→ベルガマの結婚式
最後は一気に飛んで、南米です。
ウユニ塩湖、パタゴニア(ペリト・モレノ氷河)、そしてマチュピチュです。あまりにも有名な場所ばかりですが、さすがにこの辺はすごかったです。特にウユニ塩湖は機会があればぜひ!ぼくらもいつかもう一度行ってみたいです。
そして、世界一周の旅でなにより楽しかったのが、世界の市場で食べた「市場ごはん」です。何を隠そう、ぼくのデザイナーとしての屋号である「メルカドデザイン」の「メルカド」とは、特に楽しかった南米の市場(メルカド=スペイン語で市場)が、その由来です。
世界一周をしてぼくらが得たもの
思い切って会社を辞めたから行けた、世界一周の旅。
ぼくらはこの旅から、想定していた以上に大きなものを得ました。
ベトナム北部で出会った、まるで昔話に出てくるような村に暮らす少数民族の家族や、富士山より標高が高い中国の山奥で、民族衣装に身を包み、マニ車を回して暮らす人たち。砂漠に囲まれた中東の街の、見たことも聞いたこともない食文化や世界一優しい人々。南米のチチカカ湖で、手作りの島や家に暮らすインディヘナのおばちゃんたち。
日本から遠く離れた土地で、さまざまな暮らしを営む、ふつうの人々の姿を見れたこと。特に奥さんにとっては、それを確認できたことが何より一番の収穫だったと思います。
世界一周で出会えたのは、いろんな国の「ふつうの暮らし」でした。
東京で働き、暮らしていると「東京を離れては暮らせないのではないか?」という錯覚に陥りがちです。
もちろんそんなことあるわけないのですが、当時のぼくはそう信じ込んでいました。
その錯覚を打ち壊してくれたのが、世界一周で訪れた国々の「ふつうの人々の暮らし」でした。
世界中のほとんどの地域は、東京のような都会の暮らしではありません。
むしろ、東京やNYなどの限られた地域だけが極端に都会なのです。
東京に暮らしているとそんな当たり前のことも忘れてしまいます。
世界一周の旅で出会った大多数の人々の暮らしは、大きな自然に囲まれた、不便で厳しい環境の中にありました。でもそこには、超消費社会とは違う、お母さんが家族の服を1年かけて手作りするような、とてもクリエイティブな生活があったのです。
移住に必要なもの② 「動機」
世界一周を経て、ぼくらが確信したのは「もう東京で暮らす必要はない」ということでした。
そうとなれば、話は簡単です。
ぼくらは、世界一周の旅を終えたら、東京を離れることを決心しました。
ぼくらの「移住の動機」は「東京(都会)から離れて暮らしたい」でした。
振り返ってみれば、田舎で暮らしたい」より先に(もちろんそれもありましたが)「都会を離れたい」という動機があったのですね。
では、東京を離れてどこで暮らすのか?
次回!ぼくらは移住先を探して、こんどは車中泊の旅に出ます。
つづく
◎ わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第2回 車中泊の旅(前編)
◎ わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第3回 車中泊の旅(後編)
◎ わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第4回 移住の準備(仕事編)
◎ わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第5回 移住の準備(下見&引っ越し編)
◎ わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉第6回 空家リフォーム(自力編)
◎ わが家の移住〈地方移住そのプロセス〉最終回 移住後の暮らし